名もなき詩

塾長のひとりごと
Vol.2
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この塾のはじまり(1)
かつて、東京で塾の講師をしていました。


その教室の副塾長というポストにおりましたが、実家が会社を経営しており、「後継ぎだから戻って来い」と言われ、山形に里帰りしました。


しばらくは父親の会社を手伝っていました。


ある時知り合いの方から「自分の中学三年生になる娘を教えてくれないか?」と頼まれ、ボランティアのつもりで自宅の二階で教えておりました。


教えていましたら、それを聞きつけた人たちがまた子ども達を連れてきて・・・というふうに増え、いつの間にか6名ほどになっていました。


最初は「週一回数学だけ」という約束で教えていたのですが、「英語や社会も教えてほしい」と頼まれ、気がついたときには、週3回教えていました。


自分としては「ちょっとでも手助けになれば」という気持ちでやっていたのですが、後で考えるとそれがよくなかったと思います。


そんなとき、とある模擬テストを受けることを勧めたのですが、これがひどいものでした。


なにしろ、テスト会場でお菓子を食べたり、ゲームをしたりする生徒がいたというのですから・・・真剣味のかけらも無いテストでした。


さらに、それは模造紙に印刷されており、志望校判定は手書きで「頑張りましょう」の一言。


平均点や塾内順位、偏差値すらありませんでした。


私はあまりのいいかげんさに、「このテストはひどい。3,000円の価値が無い。」とその塾にどなりこみにいったくらいです。


今はもうその塾はありません。


しかし、「そんな塾が成り立つのか」と私は地元の子どもたちが正直かわいそうになりました。


その年の受験が終わり合格発表がありましたが、六人のうち二人が不合格でした。


二人とも覚悟の受験でしたが、私としては少なからずショックを受けました。


山形の受験についての知識が不足していたこと。


そして、片手間に教えていたということが結果的に良くなかったと思います。


その年、その中学は全体的にも良くなかったようです。


数学も社会も非常に遅れており、とくに社会は中3で歴史をやっていました。
(現在はカリキュラムが変わって、中三で歴史をやっていますが、以前は中二で歴史が完結していました。)


二学期中間の公民のテスト範囲は実に100ページ以上もありました。


学校の先生はまともに授業をせず、塾もとんでもない塾が成り立っている。


こんな環境ではいい結果が出るわけはありません。


そんなある日、私の先輩がパラグライダー中の事故で亡くなりました。


その方はやさしく誰からも愛される人柄で、お菓子屋さんの2代目でした。


その人の家に線香をあげた帰り、私はその人の家から自宅まで6時間かけて歩いて考えました。


「どんなに素晴らしい人も亡くなってしまう。今、やりたいこと、やるべきことをやらなければいつまでもできない。」


それから1年後、私は周囲の反対を押し切って塾をひらきました。


成功や失敗は考えませんでした。


「自分のやりたいようにやりたい。」


自分の信念にしたがって行動したのです。


(つづく)