名もなき詩

塾長のひとりごと
Vol.2
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勇気を持て
私は大学時代に合唱をやっていたのですが、大学一年生のときコンサート前はうまくいくかどうか不安な気持ちになりました。


「もし、失敗したらどうしよう」「せっかく友達も来てくれているのにうまくいかなかったらチケット代が無駄になる」などと考えたものです。


そのとき指揮者の先生がこう教えてくれました。


「コンサートとは戦いなんだ。


コンサートとは観客やオーケストラと戦う場所なのだ。」


コンサートとは協力することによって生み出されると考えていた私には驚きの言葉でした。


そして、演奏会の日を迎えたわけですが、結局私はそのときの意味をつかむことができず、客観的に歌ってしまいました。


うまく表現できませんが、音符とかリズムとかいろんなことを考えすぎて歌ってしまったのです。


そのときの演奏会は大成功だったと思います。


後で、演奏会のテープを聴いたのですが、感動して涙がでました。


「自分がさめていた演奏会に感動する」というアイデンティティが喪失するような感覚を味わい、自分が「なぜあのときもっと歌えなかったのだろう」と後悔するはめとなりました。


大学四年のときにその悔しさを晴らすことができたと思います。


私はその演奏会にかけていました。


そのコンサートの成功を心から願い、ともすれば弱気になりがちな自分を奮い起こし、「くじけそうな弱い自分」と戦い続けることができたと思います。


そして、コンサートの日を迎えたとき、演奏会場にいるとき私は悟ったのです。


「失敗なんてありえない。


自分が誘った仲間と、自分が協力し合った仲間と歌い、そして、聴いてくれている観客はすべて私たちが連れてきた観客なのだ。


つまり、自分たちの歌や気持ちを分かろうとしてくれる人たちなのだ。


自分が歌ってきた全てを出したら、それで全てが伝わるのだ。」


「コンサートとはその場のことを指すのではなく、コンサートに至る過程で、どれだけ自分がコンサートしてきたか、その結果が歌になって出るのだ。」


そう、思ったとき心から歌えた気がしたのです。


それは不思議な体験でした。


コンサート会場の人たちの全てが理解できるような、歌っている仲間の気持ちが理解できるような気がしました。


演奏会は成功しました。


みんな私の周りに集まって泣いていました。


私は、「世界中の誰かがこの演奏会を批判したとしても、自分はこの演奏会が誇れる。


なぜなら、演奏会に至る過程での自分の生き方が誇れるから」と思いました。


ずいぶんと長い話になりましたが、私が言いたいのは、テストは結果なのだということです。


自分のそれまでの勉強に対する姿勢が「懸命」であるならば、失敗など気にする必要などないと思うのです。


失敗を恐れるあまり、自分がやってきた「過程」を忘れてしまってはいけません。


普段の力を出せればいいのです。


それ以上など出るはずもありませんし、期待するほうが間違っています。


確かに、平常心を保つのが難しいことは分かります。


でも、ちょっと考えてください。


何のために、勉強してきたのですか?


他人に対して恥じるような勉強をしてきたのですか?


それが分かるなら、堂々と胸を張って受験すればいいのです。


解けない問題を解くことは期待していません。


練習してきたことが出せればいいのです。


その練習を幾度となく積んできたはずです。


顔を上げて勇気を持って立ち向かってください。
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