名もなき詩

塾長のひとりごと
Vol.2
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やりたい勉強をやれ(7)コラボ
昨日、合格発表があった子たちと早速「語り」をした。


筑波の子とは推定30分。


横国の子とはたっぷり3時間以上。(フウ)


2人とも口をそろえて「セルフラーニングが大切です」と語ってくれた。


筑波に合格した子は、センターの数僑造如崚計」を選択した。


しかも、たった3日間しか勉強しなかったらしい。


しかも、それが高得点だった。


もし、定石に従っていたら、そこまでの点数はとれなかっただろう。


横国に合格した子は、センターの国語で今までで最もよい点数がとれた。


正解を見つけるのではなく、間違いを探すことによって点数が上昇したらしい。


いわゆるひとつの逆転の発想だ。


これらは、いずれも僕が教えたわけではない。


自ら参考書などを読んで、自分なりに選択したのである。


普通は邪道と捉えられがちだが、僕は立派な戦術だと思う。


自分なりに考え、模索し、自分に合った学習法を見つけた一つの例だと言えると思う。
やりたい勉強をやれ(6)
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難問をどのように克服するか


ミスをどのようにして減らすのか


いよいよ最終テーマである「ミスをどのようにして減らすのか」に入る。


ミスを減らすことは永遠のテーマである。


一口にミスを減らすといっても、様々なミスがある。


ここでは、三つに絞って述べてみたい。


その一・・・計算ミス
その二・・・時間配分のミス
その三・・・文章の読み取りミス


このうち計算ミスについては以前「計算ミスを防ぐ方法」という記事を書いたので、そちらを参照していただきたい。


次に、「時間配分のミス」についてだが、こちらについては「国語と数学はロケットスタート」という記事を参考にしていただきたい。


ここでは「文章の読み取りミス」について述べることにする。


「文章の読み取りミス」は5科目どれにも起こり得る。


例えば、数学ではこんなことがあった。


「兄と弟の速さはそれぞれ一定である。」


この文章を、多くの生徒が、「兄と弟の速さは同じ」、つまり、「兄の速さ=弟の速さ」であると勘違いしたことがある。


しかし、「それぞれ」という言葉の意味は、「めいめい。おのおの。」ということであり、ここでは「別々」という意味なのである。


すなわち、「兄の速さと弟の速さは別だが、その速さは一定で変わらない」という意味なのである。


このような微妙なニュアンスの違いを読み取れる嗅覚が必要だ。


それでは、その「嗅覚」はどのようにして鍛えられるかというと、僕は普段から文章を丁寧に読む習慣をつけておく必要があると考える。


長い文章だと面倒になって飛ばし読みしたり、ポイントだけ読むという癖をつけてしまっている人には、この「嗅覚」が養われない。


大切だと思うところに線を引きながら読んだり、図を描き内容を確認しながら読む、あるいはA先生がおっしゃるようにスラッシュを入れながら読むと、文章を丁寧に噛み砕きながら読む習慣が身につくのではないかと思う。



今回で「やりたい勉強をやれ」という記事は終わる予定であった。



しかし、記事を練る時間が足りず、まだ、語り足りない部分があるので、ひとまず第1部完ということにさせていただく。
やりたい勉強をやれ(5)
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難問をどのように克服するか


ミスをどのようにして減らすのか


さて、今回は「難問をどのように克服するか」というテーマである。


難問を克服するためには、難問に対する価値観を変えればよいと思っている。


頭の良い子たちは、なぜ頭が良いかというと、それは勉強に対する価値観が普通の子たちと違っているから頭が良いのである。


普通の子はこうである。


「面倒くさい」、「嫌いだ」、「疲れる」、「つまんない」等々。


一方、頭の良い子たちの価値観はこうである。


「面白い」、「楽しい」、「好き」等々。


少なくとも、「普通」であるだろう。


勉強に抵抗感があるから勉強しない、身が入らないわけであって、勉強に抵抗感がなければ素直に入っていけるし、取り組むことが出来る。


難問もこれと同じである。


「難しい」、「面倒」、「嫌だ」と感じたら、取り組めないし、頭に入らない。


「楽しい」、「面白い」、「好きだ」と感じられるようになれば徐々に出来るようになる。


しかし、最初のうちは、そのように取り組むことは確かに難しい。


ならば何も感じないようにしてみたらどうだろうか。


いわゆるひとつの「気にしない」ということだ。


要は抵抗感がなければよいのである。


抵抗がなければ、電流はめちゃんこ(死後)流れる。


抵抗感など持っていても何の役にも立たないし、必要以上に抵抗感を持たないように意識すればよいのである。


自分にとって必要だと思うなら、抵抗感を乗り越えていかねばならない。


難問に対する抵抗感はひとつの精神的な壁なのである。


さて、具体論であるが、難問克服のためにノートを作ってみたらどうかと思う。


自分が難しいと感じ、なかなか克服できない問題ばかりを集めたノートである。


以前、そうやって苦手部分を集めたノート作りをしていた子がいた。


その子は同じ問題を何度も何度もしつこく質問してきた。


しかし、そうやって努力を重ねるうちに難問に対する理解が深まり、驚異的な成績の伸びを示すに至ったのである。
(学年で100番くらい→10番以内)


1つの問題について、2〜3ページくらい大胆に使い、いろいろ解き方や考え方を書き込んでいた。


自分が必要なだけ何度も見直すことができるし、自分が解けない問題を集めてあるので、そういったものを作っておくと安心感が持てる。


不安を野ざらしにしているから不安がつのるのであり、不安な部分を整理しまとめておくことによって自分の不安の原因を突き止め不安を克服していく実感も持てるようになる。


(つづく)
やりたい勉強をやれ(4)
僕は先日やりたい勉強をしていくためには、三つの課題があると述べた。


ゞ貅蟆別椶鬚匹里茲Δ帽酩するか


難問をどのように克服するか


ミスをどのようにして減らすのか


今日はそのうちの「苦手科目をどのように克服するか」について思うところを書くとしよう。


先日、興味深い出来事があった。


国語のテストを実施したのだが、その中の作文のテーマが、「得意分野を伸ばすべきか、苦手分野を克服すべきか」というものだった。


この作文に対して、何と全員が「苦手分野を克服すべきだ」と書いたのである。


その中で特に目を引いた作文があった。


その作文にはこう綴られていた。


「得意分野といえども苦手な部分はある。その苦手な部分を克服しない限り得意分野をさらに伸ばすことは不可能である。ならば、結局は苦手分野を克服するのと同じことではないか」と。


得意科目を伸ばすことはもちろん大切だ。


しかし、90点を100点にする努力と、50点を60点にする努力では、同じ10点でも質が異なる。


どう考えても、50点を60点にする努力の方が克服しやすい。


また、人間は好きなことは毎日できるが、嫌いなことはなるべく避けて通りたいというぐうたらな生き物なのである。


そのため、苦手科目は野ざらしで放置され、いつまでも改善されないままになりやすい。


苦手科目を克服するには、「意識」の向上が必要不可欠である。


すなわち、「この科目を克服しない限り自分の向上はない」という認識を持つことである。


それは、好きとか嫌いをこえたところに存在する超越的な自我である。


もしかしたら、我儘なガキの領域から解脱して大人になろうとする、マージナルマンとしての自我意識の高まりである、と言い換えてもいいかもしれない。


「苦手科目を克服すれば自分を伸ばすことができる」という、自己実現の欲求に目覚めることが大切なのである。


さて、具体論であるが、苦手科目の克服には、僕は教材の力を借りることが一番であると考えている。


10段階で表現するとすれば、いきなり1から10には行けないのである。


1〜3を学習し定着させ、次に3〜6、出来たら次に6〜9、そして最後に9〜10と、段階を経て学習していけばいいのだ。


しかし、そういう段階分けされている教材は実に少ない。


1があったと思うと、次にいきなり4〜5になり、そして7がほんの少しあるような教材が多いのである。


まず下地の1〜3を時間をかけて作り、次に3〜6を時間をかけて・・・というような教材を作ったら、おそらく相当高額になり、しかも、分厚くなってしまう。


大抵は、その金額と厚みに負けてしまうのである。


そして、もっと安く要領よく短期間にと考えたくなるのだ。


しかし、そういった考えが苦手科目を克服できない要因の一つなのである。


苦手科目を克服しようと思ったら、覚悟を決めて、腰を据えて取り組まなねばならない。


そのためには、時間的な壁、精神的な壁を破壊して乗り越える強さを持つ必要があるだろう。


そう考えていくと、苦手科目を克服するということは、ガキから脱皮して大人になるということと同値かもしれない。

(つづく)
やりたい勉強をやれ(3)
やりたい勉強をしていくためには、三つの課題があると考える。


ゞ貅蟆別椶鬚匹里茲Δ帽酩するか


難問をどのように克服するか


ミスをどのようにして減らすのか


これを考えずして、ただ問題集を解いていくのでは、時間のロスがある。


(つづく)
やりたい勉強をやれ(2)
「やりたい勉強をする」最大の利点は何であろうか?


それは、「自分のことは自分が一番よくわかる」ということである。


自分の体調・家庭環境・課題・弱点・気持ちなど、これらを正確に把握できるのは、他でもない自分自身である。


したがって、自分の客観的資料(テストなど)さえあれば、いつでも無駄なく自己分析が可能である。


しかし、これが思うようにできない。


理由はいろいろあるが、精神的なプライドや負けず嫌いといった側面が、正しい物の見方を曇らせる一因である。


自分を客観的に見つめようとする時、自分を一旦リセットする必要がある。


「ここまで頑張ってきた。」


「誰よりも勉強している。」


という自負があればあるほど、正確な状態把握はしにくい。


また、これとは逆に「自分を低く見積もりすぎる」のも危険である。


こういった場合、出来ているのに同じ無駄を二度・三度繰り返す行動をしてしまう。


結果、同じ所から抜け出せない「迷路」に嵌ることになる。



自分を正確に把握することが出来れば、対策は取りやすくなる。


そして、大幅に時間を節約できる。


(つづく)
やりたい勉強をやれ(1)
僕が考える究極の授業とは、「やりたい勉強をやらせる」ことかもしれない。


生徒たちは自分で自己分析する力を持っている。


しかし、普段そういったことに慣れていないので、最初は教えてあげなければならない。


さらに、問題に対する対処の仕方を具体的に考え、実行してくことを覚えていかねばならない。


そして、経験値が高まり、それが徐々に自分で出来るようになってきたときに、「やりたい勉強をやらせる」ことが可能になってくる。


(つづく)