うちの塾で中学・高校と学んだMさんがひょっこり訪ねてきた。
つい最近、医師国家試験に合格したという。
4月から宮城県で働くので、その前にとわざわざ手土産までもって挨拶に来てくれた。
しかし、教えたのは6年も前のこと。
それが「私が医者になれたのはこの塾のおかげです」と言われてはうれしくないはずがない。
彼女は中1から中3まで、定期テストが一度も480点未満がないというもはや伝説上の人物だ。
ワークを20回転したという話は、度々引用して生徒たちに語り聞かせている。
それにしても、初任給を聞いて驚いた。
これなら、だれもが医者を目指す気持ちがわかるw
久しぶりの投稿だ。
今年はコロナ一色である。
幸いにして、僕の住む市では感染者が今のところ一人もいない。
山形県全体でも25日間連続で新しい感染者はゼロという状況が続いている。
そのため、塾でも少しずつ平常の授業に移行しつつある。
この状況が続くなら、近いうちに自習室も使えるようにするつもりだ。
学校が2ヵ月近くも遅くスタートすることで、今年の受験生は大変な年になると思う。
まず、夏休みが短くなることが問題だ。
例年だと、部活動引退→夏休みに復習して土台固め→二学期以降に入試問題というパターンが一般的だと思う。
しかし、夏休みの土台固めの時期が短くなるため、十分に復習しないまま二学期を迎えることになると、成績が伸びてくるのが2ヵ月程度遅くなるのではないだろうか?
例年でも本格的に受験勉強をはじめて2〜3か月後に成績は伸びてくる。
ということは、もし仮に8月から受験勉強をはじめたら伸びが出始めるのはおよそ12〜1月ということになってしまう。
次に約2ヵ月遅れて学校の授業が始まることで、試験範囲が膨大になり、よくわからないまま次々に新しいことを教えられるという、完全な詰め込み教育が実施されると予想されることだ。
低学年は時間がとれるので何とかなるだろうが、3年生はカリキュラムが決まっている以上やらねばならない。
ということは、受験勉強と定期テストの勉強という二重の負担に苦しむ生徒が多く出る可能性がある。
塾に通ってくれている中学3年生たちには、定期テストの勉強と低学年の復習を同時にやってもらっている。
定期テストの勉強に関しては既に例年の1学期の内容は全員が完了している。
今は繰り返している状況だ。
中には3学期の範囲まで進んだ子もいる。
復習に関しても、定期テストの学習が進んだところで、余力のある範囲で教材を渡して進めてもらっている。
これでもまだまだ完ぺきではないと思うのに、塾通いしていない子たちの学習負担というのはそうとう大きくなるだろう。
練習時間が十分にとれないまま、どんどん先に進んでいく可能性があるということだ。
特に成績のよくない子たちの負担は大きくなる。
それでいて、土日は授業として使わないとか、行事は削減しないとか、現場に負担をかけるようなことが新聞紙上で述べられている。
学校の授業が崩壊しないことを願うばかりだ。
山形東 探究 2.49倍
山形東 普通 0.41倍
山形南 理数 2.13倍
山形南 普通 1.04倍
山形西 普通 1.12倍
山形北 普通 1.03倍
山形中央 1.24倍
寒河江 探究 3.75倍
寒河江 普通 0.54倍
東桜学館 0.83倍
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センター試験で結果の良かった生徒は、「こんなに辛い思いをして勉強するのはもう嫌だ」というくらい勉強していた。
それに対して、「何とかなるさ」、「一回くらい浪人したっていい」などと甘いことを言っていた生徒たちは何ともならなかった。
これを鑑みるに、成功する者というのは、直前まで、しかも、極限まで自分を練り上げるのではないかと思える。
自分を極限まで練り上げるというのは大変な作業である。
誰だって、ある程度のところまで出来るようになれば、「このくらいでもういいじゃないか」という気持ちになる。
目標点数が90点だとして、90点取れるようになったら、そこで「目標達成感」を持ってしまうものだ。
そして、その科目については手を抜き始める。
しかし、それでは成績を維持することはできない。
一旦、良くなったといっても未来永劫良くなることを保証されたわけではない。
だから、それ以上良くする努力を常に怠らないようにしなければならない。
しかし、それは先程も述べたように簡単ではないのである。
自分の出来ていないところをえぐり出し、これでもかこれでもかと克服するために練習しつづけることは、自分のプライドを傷つける作業でもある。
先程の例で言うならば、9割のできているところではなく、残り1割のできていないところをひたすら練習していく作業に他ならない。
連日連夜、自分の出来ていないところ、自分の弱さを見せつけられるのである。
どんなに克服しても、次の日にはまた自分の出来ないところと向き合い続けなければならない。
中途半端なプライドはボロボロになる。
正に精神戦と言っていい。
この精神戦に勝利する、つまり、自分にどれだけ勝つことができるかによって大舞台で本領を発揮できるかが決まってくるのである。
極論かもしれないが、僕は入試に生き方が表れると思っている。
それまでの人生が入試当日に出るのである。
みんな、入試の日に向けて努力しているし、そのことはある意味当然だろう。
入試の日はたった1日かもしれないが、それまで生きてきた自分の生き方の集大成の日でもある。
自分がどれだけその日のために努力して練り上げてきたのか、どれだけ誠実に目標に対して努力したのかが表れる。
ならば、その日まで練り上げ続けることを怠ってはならない。
誰も見ていなくとも、自分だけは知っている。
その自分自身が、入試本番でどれだけ頼りになるのか証明されるのだ。