名もなき詩

塾長のひとりごと
Vol.2
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戦いの後に
実に長い夏期講習だった。


思い出が走馬灯のように駆け巡る。


この講習で僕がやったこと。


それは、みんなの意識を変えることだった。


今年の子達は学力が足らない。


いや、そもそも努力が足らないと感じていた。


だから、今年は5時間×16日間の超ロングプログラムを作成。


新規入塾生にはかなりハードルが高かったと思う。


そして、成績とは勉強によって改善できると繰り返し説いた。


講習の成果はあったと思うが、具体的な成果や問題点は模試の結果によって判別したい。

長時間勉強のすすめ
人間が本当に集中できる時間は60分間のうち15分くらいだと思います。


しかし、長時間勉強できなければ学力向上は望めません。


私が常々言っているのは一日最低3時間ですが、一日5時間くらいやっている生徒は毎年必ず数名います。


「彼ら」は土日となると朝9時〜夜10時くらいまで勉強しています。


そういう生徒は当然結果もよくなります。


「彼ら」はなぜ5時間以上も勉強できるのでしょうか?


ひとつには意識の面があげられると思います。


「彼ら」は学習意欲が非常に高く、向上心が強いのです。


このような意識の高さは、保護者の方々の考え方の影響があるからだと思います。


例えば「うちの子は長時間集中できない」と考えているお母さんがいたとしましょう。


もちろんこれは冒頭で述べたように事実です。


しかし、「だから5時間勉強できない」ということはありません。


もちろん「5時間勉強して頭に入らない」ということもありません。


理由は後で述べるとして、もし、そういうお母さんがいたとしたら子どもはもちろん「5時間なんて勉強できない」と思い込むことでしょう。


それが先入観というものです。


以前、私は生徒の力量を見て「今このぐらいだからこのくらい伸びるかな」という見通しをたてて教えていました。


しかし、ある時「自分の考える限界が生徒の限界ではないか」と考えて、そのような見通しをたてずに教えるようにしたところ、驚くほど生徒達が成長することがわかりました。


つまり、「親や先生の考える限界=子ども達の限界」ということなのです。


実は子ども達には環境に順応する高い能力と柔軟性が備わっているのです。


ですから、「無理に決まっている」と決めつけずに「やらせてみること」も大切だと思います。


もちろん、新しい環境に対しては慣れるまでにしばらく時間がかかることでしょう、精神的にくじけそうになるかもしれません。


大切なのは、そのときに「やっぱり無理だからやめなさい」と直ぐに結論を出さずに、「簡単にあきらめずに頑張りなさい」と励ませるかどうかということです。


大人は自分を基準に物事を考えますから、自分ができないことは子どももできないと決めつけてしまっている場合があります。


意識の高い生徒達の場合、たいていは保護者の方々も非常に意識が高く、「一度決めたことは簡単にあきらめず、限界をつくらない」という方が多いと思います。


もうひとつは体力です。これはもちろん肉体的な体力もありますが、精神的な体力もあると思います。


部活で鍛えたからといって長時間勉強できるわけではありません。


特に入試問題は、やっかいな難問に出くわすことが多いので、そういう精神的にストレスのたまる問題を長時間やっていけば、ふつうは誰だって嫌になるものなのです。


ところが、「彼ら」は全く気にしません。


それどころか、むしろ難問を楽しむ様子さえあります。


頭がいいからでしょうか?


いいえ、難問を気にしないから頭がいいのです。


私はこれを「鈍感」と呼んでいます。


いろんなことを気にせず「鈍感」であることが、勉強では非常に重要な素質のひとつなのです。


「鈍感」な彼らは時間を気にしません、隣の人が何をしていても気にしません、雪が降っても、雨が降っても気にしません、だから、もちろん、難問は気にしないわけです。


それでは「鈍感」は生まれついてのものなのでしょうか?


私は「鈍感」は養えるものであると考えています。


成績の悪い生徒はコンプレックスを持っている場合があります。


コンプレックスが原因の場合、それを取り払うように指導すると、ほとんどの生徒は成績が向上していきます。


例えば、「私はお兄ちゃんほど頭よくない」という生徒に「君は頭がよくないのではなく勉強していないから結果が出ていないだけだ、お兄ちゃんなんか気にするな」と言っていたら、いつの間にか成績が向上していきました。


また、「英語が嫌いだ」という生徒に「アメリカ人は幼稚園児でも英語ができる。英語は頭ではなく経験で学習できるのだ」と指導したら、中1のとき30点だった英語が入試で90点になりました。(余談ですが、後日、この生徒に「英語は好きか」と尋ねたら「嫌いじゃない」と答えました。)


食わず嫌いの生徒に、とりあえず食べてみてはじめて味がわかると指導するわけです。


たったこれだけで、コンプレックスはしだいに消え去り、「鈍感」になっていくのです。


「鈍感」が育っていくと、しだいにコンプレックスを克服した自分を認識することができるようになり、これがいわば「人間的成長」を実感するのだと思います。


このとき、生徒達はいままでにない喜びを感じ、この喜びをもっと経験したいと思い、もっと困難を克服したいと願うようになるのではないでしょうか。


だから、「彼ら」は難問を楽しむのだと思います。



さらに、目標ということがあげられます。


言うまでもない事ですが、目標が高いからこそ努力しても苦にならないわけです。


ところが、目標に向かうときのエネルギーには2種類あると思っています。


ひとつは、純粋に「看護師になりたい」とか「大学に行きたい」とか自分の将来のために必要な知識を求めるために、高校に行くというエネルギーです。


これを私は「正のエネルギー」と名づけています。


「自分をより高いレベルに引き上げる」という考えが根底にあるわけです。


もうひとつは、「彼氏と同じ学校に行きたい」とか「高校行って遊びたい」とか「制服がかわいい」というような、自分のレベルを向上させることが本来の目的ではない場合です。


これを私は「負のエネルギー」と名づけています。


困ったことに、「負のエネルギー」が強くても勉強はできます。


しかし、見かけ上は一生懸命やっているように見えても、根底に自分をレベルアップするという考えがないので、時間はかけますが成果は思うように出ません。


肉体的な疲労が勉強であると勘違いしているからです。


そして、一般的に「負のエネルギー」の強い人たちは、結果の出ないことを他人のせいにすることが多いようです。


もちろん、入試でもいい結果は得られません。


対して「正のエネルギー」の持ち主は、あとからあとからエネルギーが沸いてきます。


よく「砂漠に水」と言いますが、求めているからこそ、まるで砂漠に水をまくようにたくさんのことをあっという間に吸収できるわけです。


まさに「一をきいて十を知る」状態です。


だから、「彼ら」は長時間勉強しても吸収するエネルギーが沸いてくるわけです。


これが「5時間勉強しても頭に入る」秘訣です。


たいていは、どの生徒も「正のエネルギー」も「負のエネルギー」も持っています。


しかし、「正のエネルギー」が「負のエネルギー」に打ち勝たないと、つまり、自分の中の葛藤に勝利しないと長時間勉強での成果は得られないと思います。


それでは、15分しか集中できないのに、長時間勉強するためにはどうしたらいいのでしょうか?


具体的に考えてみたいと思います。


私は次のことを毎年指導しています。


〃彁擦念纏擦六箸錣塞ず筆算でやること→暗算をすると直ぐに疲れて最後までもたないし、疲れてミスが増えるとやる気がなくなる。


漢字や単語や語句は手で覚えること→とにかく、頭は最小のエネルギー消費量で済ませるためには体を使うことが一番いい。


声を出して覚えるのもよい。


但し、周りに迷惑はかけないように。


J拔するにあたっては、最初に必ず一日の計画をたてること→計画のない勉強は無益。


三日はもっても長くはもたない。


なぜなら、最後は時間との戦いになるのに、最も大切な入試直前の時期に、このくらいやればここまでできるという「計画の読み」を育てることができなくなるから。


ぐ貽のラストに頭の疲れる問題は持ってこないこと→頭が回転しすぎると、冴え過ぎて眠れなくなり翌日に影響の出る場合がある。


ラストは漢字・単語・語句・計算などがよい。


ヌ簑蠅魏鬚ときにダイナミクスをつけること→速く読んだり、遅く読んだり、さっと読んだり、じっくり読んだり。スピードやウェイトに変化をつけて学習するとよい。


スピードやウェイトを自由自在にあやつれるように訓練すると、頭をふだんはあまり使わず、ここぞというときにフル稼働して使うことが可能になる。


κ拔はだらだらやること→長時間勉強には「集中しすぎないこと」が大切な要素。


最初、頑張りすぎるとラストまでもたなくなる。


Г錣らないことは5分で見切りをつけること→こだわりすぎると、頭が疲れるばかりで効果的ではない。


わからないことは質問すればよい。


そのために塾がある。


頭で考えず手で考えること→とくに数学の図形や関数は、問題集の図に頼らずに、自分で図を書く習慣をつけること。


文章はポイントと思ったところに線を引きながら読むこと→とにかく体を使うこと。


なるべく間違えないこと→間違えると疲れるのが早くなる。


そのためには、○つけをこまめに実行すること。


特に新しいところや苦手なところは3〜5問で1回くらいのペースで。


 銑が実践できると、10時間でも可能だと思います。


頭のエネルギー消費量をできるだけ抑えて学習することをおぼえればいいわけです。


これが出来るようになると入試でも効果があると思います。


なぜなら、入試は50分×5科目=4時間10分ですね。


ということは、4時間10分バランスよくエネルギーを使い切る練習が必要なわけです。


実際には、緊張してアドレナリンが出すぎて、前半飛ばしすぎの可能性もあるわけですから、5〜8時間もつスタミナをつけなければ受験では成功しないと思うからです。


いかかでしょうか?


長時間勉強はなぜできるのか?


長時間勉強がなぜ効果的なのか?


おわかりいただけたでしょうか?


さしあたり、以下のことをチェックされてみてはいかがでしょう。


^媼韻箸靴董峺続Α廚鬚發辰討い覆い


◆崙澳供廚どうか


「正のエネルギー」が強いかどうか


これがクリアーできたら、さあ、あなたも「彼ら」の仲間入り。
センター試験がなくなる
現中学2年の世代からセンター試験が廃止されるということはもはや周知の事実である。


しかし、そのことを本当に認識されている保護者の方はまだ少ないように思われる。


センター試験がなくなり、マークシート方式ではなく記述で学力を問う「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」になると問題の難易度が上がると予想されている。


マークシートはうろ覚えでも答えがマークできるが、記述になれば正確な漢字で書けなければ正解にならないのてあるから当然正答率は下がるだろう。


記述問題に対する答案作成能力も必要となる。


具体的には、文末処理や接続語の使い方など、修業が必要な部分はいくらでもある。


これを考えると、なるべく低学年のうちから、記述・論述問題に対する練習を積んでおく必要がある。


さらには、漢字力や単語力を高める必要もあるだろう。


つまり、普段から、「書く」ことをもっと意識して練習していかねばならない。


(つづくかも)
とことん学ぶ
とどのつまり、学ぶことが好きにならないと上位は狙えない。


成績上位にいる者は、努力を厭わず、難問を厭わず、長時間学習を厭わない。


これらの精神的な要素が何らか欠けていると、壁を突破していくことは難しい。


だから、これを早く突破しておくにこしたことはない。


小学校のうちに突破するか、中学生で突破するのか、それとも、高校生になっても突破できないか。


学生時代に怠けていた者が、大人になってから何かを成し遂げるとは到底思えない。


ならば、やはり早期に精神的な壁を突破するべきだろう。


そうすれば学ぶことの楽しさを知ることができる。


だから、僕は中学受験に賛成である。


中学受験の努力は無駄にならない。


例えば、割合や速さの文章題を学んでおけば、一次方程式の応用がスムーズに理解できる。


もし、仮に中学受験に失敗しても、普通に公立中学に通うことができる。


ただし、僕が言っているのは地方の場合だ。


首都圏の中学受験は半端なく難しい上にお金も掛かる。


だから、一概に諸手を挙げて賛成とは言い難い。


ともかく、なるべく早く壁をこえさせるなら地方の中学受験はいい選択肢だ。


早くうちにとことん学ぶことができれば、同じような状況にも即対応できるし、それほど辛くない。


むしろその状況を楽しむ余裕すら生まれると思うのだ。
自分の心に負けないこと
「マトリクス」という映画の1シーンにネオがビルの屋上からジャンプする場面があり、私はその中の、「飛ぼうと思えば飛べるんだ。心が死ぬから死ぬんだ。」というせりふがとても気に入っています。


まさにこの言葉は、受験勉強をする生徒たちにも当てはまる、いや、人生の全てに当てはまる言葉なのではないでしょうか。


授業中に、「この問題難しい」と嘆く生徒がいて、私はこの話をしました。


「解けないのはスキルが足りないからであり、つまり経験不足ということだ。


最初から解ける生徒はいない。


大切なのはそういう環境に常に身を置いて、入試問題に慣れることなのだ。


難問を常に考えようとする訓練を継続することにより、今は解けなくとも、1ヶ月後、2ヵ月後、3ヵ月後に解ければいいわけであって、今はそのための準備期間ということなのだ。


気をつけなければならないのは、難問を解くときに思考を閉ざしてしまったり、あきらめてしまわないことだ。


『解けると思えば解けるんだ。心が解けないと思うから解けなくなるんだ。』


もし、解けないときはどうしたらいいか?質問すればいいに決まっているじゃないか。そのために我々はいるんだ。」と。


難問というのは、何段階か(たいていは3段階程度)の組み合わせであり、教科書レベルでは1段階かせいぜい2段階くらいしか練習していないため解けないのです。


設問全体を把握し、方針を決定し、実行に移すという訓練があまりにも少ないために、つまり経験が少ないために、「解けないものだ」と思い込んでしまう生徒が多いのです。


対策として経験を積めば徐々に解決していくのですが、その経験の1回めと言うのが最も厄介で、心理的な抵抗が大きいのです。


たいていの生徒はここで嫌になってしまうのです。


自宅学習して最も泥沼にはまりやすいのがこの部分です。


ですから、自宅学習する場合、難問ははずして簡単なものだけやっているか、意味も分からず答えだけ丸写ししてわかった気になっているか、あるいは、一度は理解したとしても、二度目になると考えるのがめんどうになって(難問は理解に時間がかかるし、とても疲れるので)きちんと理解しようとしなかったりしてしまいがちなのです。


しかし、難問を解かなければ学力の向上はありえません。


「苦しみ=成長」なのです。


精神的に負荷の大きい問題に立ち向かっていくことが学力向上に直結するのです。


そこで、最初の話題に戻りますが、難問に立ち向かうためには、自分の心に負けてしまってはだめなのです。


難問を「絶対理解できる。今は解けなくても、いずれは必ず自分の力で解いてみせる」という心構えをしなければなりません。


「解こう」と思えば、いつかは解けるようになるのです。


「解けない」と思っていたらいつまでたっても解けるようにはなりません。


よく言われることですが、大切なのは「自分を信じること」です。


すなわち、「自分はきっと解ける」あるいは「自分はきっと解けるようになる」と思い込むことです。


そう信じることが、いつか自分を解けるようにしてくれる力に変わるのです。


残念ながら、入試の問題が自分のレベルに降りてきてくれることはありません。


自分が入試のレベルに近づいていかなければならないのです。


そのためにもう一度この言葉を贈ります。


『解けると思えば解けるんだ。心が解けないと思うから解けなくなるんだ。』


いい言葉ですね。
どうしたらいいかわからない
成績が伸び悩んでいるときによく耳にする言葉です。


私も以前こんなことをよく考えました。


経験がなく、あまりにも未熟であったために対処の仕方に迷ってしまうからでした。


そんなときに大学の先輩からこんなことを言われました。


「どうしたらいいかわからないということを君は言い訳にしてしまっている。


よく考えれば何をすればいいかわかってくるはずだ。」


その時から、私の緊急事態に対する対処の仕方は劇的な変貌を遂げたと思います。


「どうしたらいいかわからない」ということを言うのは簡単なことです。


しかし、理想と現実のギャップに気がついたとき、現実逃避してつい誰かに頼りたくなるのです。


そして、心の中では「なすべきこと」が本当は何なのかを理解していながら、「もっと楽な方法はないのか」と考えたくなり、ほとんど無意識のうちに「なすべきこと」にヴェールをかけて見えなくしてしまうのではないでしょうか。


そして、「わたしは今悩んでるんだから」という心の状態に落ち着いてしまい、積極的な心の状態に戻りたがらなくなるのではないかと思います。


つまり、


「どうしたらいいかわからない」=「誰か助けて」=「助けを待つ」
という心の状態ではないかと思います。


しかし、何もしないのでは、どこからともなく「正義の味方」や「白馬の王子様」は絶対現れないのではないでしょうか?


何もしないで待っている人に他の人は魅力を感じません。


現状を打破しようと懸命になって努力し、決して弱音を吐こうとしない人には魅力を感じ、「何か力になってあげたい」と思うものです。


重荷を持って坂道を登るのが面倒なとき、座って何もしないで「荷物もって」と頼むなら、誰も相手にしてくれません。


しかし、汗を流してそれでも一生懸命に荷物を運ぼうとするなら、人はその姿に感動し協力を惜しまないと思います。


今、私は「どうしたらいいかわからない」ような場面では、その解決策を考えるのをできるだけ楽しもうとしています。


「これが自分の限界なら、これを解決したら自分がもっとできるようになる。この問題はきっとできる。何かあるはずだ。」と思うようにしているのです。


そして、実際、ほとんどは解決します。


人間には物事を分析し、工夫する力が与えられているのです。それを生かすことが自分を生かすことだと思います。


「ピンチは最大のチャンス」なのです。


それをのりきれば、さらにひとまわり大きくなれるチャンスなのです。


だからこそ、「どうしたらいいかわからない」という心の状態を「今わたしは壁にぶつかっているんだな」と捉え、「よーし、このパズルを絶対解いてやる」と決めて、その解決法を考えるのを楽しんでくれたらいいと思います。
この塾のはじまり(3)
開校して二年目から黒字転換しまして、幸運なことにその後ずっと健全経営しています。


最初の3年間は父親の仕事を手伝っていましたが、4年目に会社を作り独立することを決心しました。


開校当時、多くの友人に相談しましたが、残念ながら一人として塾を開校することに賛成してくれませんでした。


「受験戦争を激化させるつもりか。」


「東京ならともかく、山形ではうまくいくわけない。」


「勉強は自分でやるものだ、塾なんて必要ない。」


私は自分の信念に基づいて「学校教育ではできない何か」を求めて、塾を開くのだと彼らに説明しました。


私の住む天童には、かつて「格知学舎」という塾がありました。


私はその地を訪れ、歴史を知る機会を持つことが出来ました。


偉大な先人がなしとげた人創り・・・自分も格知学舎や松下村塾のような素晴らしい塾を創ってみたい。


そして様々な子ども達の中に眠る才能の開花に協力したい。


それが結局は豊かな街づくり、素晴らしい街づくりにつながるのではないかと考えました。


私は彼らに言いました。


「自分に出来るかどうかはわからないが、最終的に求めているのは受験勉強という題材を用いた子ども達の人間的な成長であり、たとえるなら高校野球の監督のようなものだと思っている。


しかし、学習塾であるから、そのことを表だって目標とするわけではない。


なぜなら『人間的成長を求める塾』と宣伝しても生徒が集まるとも思えないからだ。


ましてや自分自身まだまだ未熟で、どのようにすればそのような塾になるのかもわからない。


だが、自分は一流ではないかもしれないが、一流を目指したいという情熱は誰にも負けないつもりだ。


そして、生徒達と一緒に大人になっていきたいと思う。


一生懸命やっていい塾にするつもりだから、どのような塾になるかは結果を見てから判断してほしい」と。


塾名を「白門ゼミナール」としたのは、学歴主義の最高峰が「赤門」と呼ばれる東大であると考えた場合、それとは別の山を目指していきたいという気持ちからです。


誤解を招くといけませんので説明いたしますが、私は東大を否定しているのではなく、「学力+α」を求めたいと思っているのです。


どんなに優秀な頭脳も使い方を間違えれば、オウム真理教の「地下鉄サリン事件」のようになりかねないからです。


現在、教鞭をとっている講師は全員、うちの塾の卒業生ばかりになりました。


それから数年が経過しましたが、「理想の塾創り」はまだ途中です。


しかし、合格体験談を読むと何人かの生徒達が、「この塾で精神的に成長した」と言ってくれるようになりました。


前出の友人たちも、最近では「君はよくやっている」「自分の子どもを頼みたい」とみんな肯定的に変わってきてくれるようになりました。

(おわり)
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この塾のはじまり(2)
開校して一年目は、中三が2名、中二が4名でスタートしました。


とにかく教室が広く感じられたものです。


他の学年は余裕がなかったので受け入れないことにしていました。


なにせ中三が2名ですから、ひとり休むとマンツーマンになります。


そのため、一番小さい教室しか使ったことがありませんでした。


「早く大きい教室を使ってみたい。」そんな風に思っていました。


その時中三で通っていたOさん。


最初の中間テストでいきなり自己ベスト更新の6番になり、電話口で「うふふふ」と、とても喜んでくれていたのを思い出します。


そして、夏から友達のIさんやNさんを連れてきてくれて。


最終的には卒業時6名になりました。


そして全員志望校に合格してくれました。 


翌年、春期講習で3時間×16日間というむ講習を企画したところ、中三の人数があっという間に18名となり驚きました。


はじめて大教室を使ったわけですが、突然急増したのでわけがわかりませんでした。


そうこうしている間に教室がパンク状態となり、やむなく中三の募集を取りやめたところ、次から次へと入会希望者が現れて・・・。



最初の2〜3人は「仕方ないな」くらいですんだのですが、10人目を越えたあたりから悔しさがにじみ出てきました。


そして、15人目を断ったときは、とても悲しかったです。


(つづく)
この塾のはじまり(1)
かつて、東京で塾の講師をしていました。


その教室の副塾長というポストにおりましたが、実家が会社を経営しており、「後継ぎだから戻って来い」と言われ、山形に里帰りしました。


しばらくは父親の会社を手伝っていました。


ある時知り合いの方から「自分の中学三年生になる娘を教えてくれないか?」と頼まれ、ボランティアのつもりで自宅の二階で教えておりました。


教えていましたら、それを聞きつけた人たちがまた子ども達を連れてきて・・・というふうに増え、いつの間にか6名ほどになっていました。


最初は「週一回数学だけ」という約束で教えていたのですが、「英語や社会も教えてほしい」と頼まれ、気がついたときには、週3回教えていました。


自分としては「ちょっとでも手助けになれば」という気持ちでやっていたのですが、後で考えるとそれがよくなかったと思います。


そんなとき、とある模擬テストを受けることを勧めたのですが、これがひどいものでした。


なにしろ、テスト会場でお菓子を食べたり、ゲームをしたりする生徒がいたというのですから・・・真剣味のかけらも無いテストでした。


さらに、それは模造紙に印刷されており、志望校判定は手書きで「頑張りましょう」の一言。


平均点や塾内順位、偏差値すらありませんでした。


私はあまりのいいかげんさに、「このテストはひどい。3,000円の価値が無い。」とその塾にどなりこみにいったくらいです。


今はもうその塾はありません。


しかし、「そんな塾が成り立つのか」と私は地元の子どもたちが正直かわいそうになりました。


その年の受験が終わり合格発表がありましたが、六人のうち二人が不合格でした。


二人とも覚悟の受験でしたが、私としては少なからずショックを受けました。


山形の受験についての知識が不足していたこと。


そして、片手間に教えていたということが結果的に良くなかったと思います。


その年、その中学は全体的にも良くなかったようです。


数学も社会も非常に遅れており、とくに社会は中3で歴史をやっていました。
(現在はカリキュラムが変わって、中三で歴史をやっていますが、以前は中二で歴史が完結していました。)


二学期中間の公民のテスト範囲は実に100ページ以上もありました。


学校の先生はまともに授業をせず、塾もとんでもない塾が成り立っている。


こんな環境ではいい結果が出るわけはありません。


そんなある日、私の先輩がパラグライダー中の事故で亡くなりました。


その方はやさしく誰からも愛される人柄で、お菓子屋さんの2代目でした。


その人の家に線香をあげた帰り、私はその人の家から自宅まで6時間かけて歩いて考えました。


「どんなに素晴らしい人も亡くなってしまう。今、やりたいこと、やるべきことをやらなければいつまでもできない。」


それから1年後、私は周囲の反対を押し切って塾をひらきました。


成功や失敗は考えませんでした。


「自分のやりたいようにやりたい。」


自分の信念にしたがって行動したのです。


(つづく)
昨日と今日(6/27と6/28)の電話の不通について
昨日と今日(6/27と6/28)、もしかすると土日についても電話が自動的にFAXに切り替わる設定になっていたようです。


現在は復旧して電話がつながるようになっております。


もし、お問い合わせの方がいらっしゃいましたら、改めてお電話いただけるとありがたく思います。