名もなき詩

塾長のひとりごと
Vol.2
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精神的な力

成績がよいというのは、地頭がよいと思われがちだが、実際は精神的な部分が大きいのではないかと思う。

 

 

例えば、難しい問題に出会ったとき、それをスルーする子もいれば、積極的にトライする子もいる。

 

 

当然、積極的にトライする子が力をつけるのは明白だ。

 

 

そればかりではない。

 

 

苦手な部分を繰り返し反復する子もいれば、めんどくさがって繰り返さない子もいる。

 

 

当然、前者はよくなり、後者は進歩しないだろう。

 

 

このように、成績をよくするために必要なことを厭わない精神的な力というものを鍛えていく必要があると思う。

 

 

この精神的な力というのは、自分の欲求と無関係ではなく、楽ではなく快楽を求める気持ちが強いものほど精神的な力は大きいように思われる。

進化

ミスチルの歌に次のようなフレーズがある

 

 

進化論では首の長い動物は 
生存競争の為にそのフォルムを変えてきたと言う 
「強く望む」ことが世代を越えて 
いつしか形になるなら この命も無駄じゃない 

 

 

キリンの首が長くなったのは、そう「強く望んだ」結果ならば、成績をよくしたいとか、合格したいと「強く願う」なら、勉強も進化するのではないだろうか?

 

 

成績をよくするのは、「強く望む」ことから始まると少なくとも僕はそう思う。

点数デフレ

年々、実力テストの平均点が下がっている印象が深い。

 

 

つい、5年前くらいなら、実力テストの平均点が240点でも低いと感じた。

 

 

ところが、つい、最近あった実力テストの平均点は210点を切っていた。

 

 

これは僕の知る範囲で過去最低ではなかろうか?

 

 

しかし、これがすなわち学力低下を表しているとは必ずしも言えない。

 

 

というのも、実際の入試の方が点が取りにくくなっており、入試と実力テストの点数の乖離が問題であったからである。

 

 

例えば、ある高校は実力テストで380点程度必要とみられていたが、最近の実際の合格点は340点程度であり、40点程度の開きがあった。

 

 

つまり、実力テストの方が入試よりも点が取りやすいということが言える。

 

 

今回のテスト結果は、点数だけを見たら、「点が悪い」ということになるのだろうが、実際の入試のレベルに問題が近づいてきているという可能性もある。

 

 

実際の問題を詳しく点検してみないといけない。

学校の授業は必ずしも自分の目標に合ったものではない

このことは度々述べてきたことだ。

 

 

例えば、山形大学、保健医療大、新潟大学、東北大学といった大学を目指していこうと思ったら、学校のカリキュラムに沿って学習していくのがいいだろう。

 

 

しかし、筑波大学、千葉大学、金沢大学などといった大学を狙う場合に問題が発生するのである。

 

 

といういのは、そういった大学を受験する生徒はこのあたりの高校では極めて少数だからなのである。

 

 

故に、学校側で全く対策をとらないといってよい。

 

 

さらに、このあたりの大学にはオープン模試がない。

 

 

そのため、無理矢理、東北大オープンなどといったものを受けさせられる。

 

 

しかし、東北大オープンを受けても、そもそも出題傾向も配点も違っているのだから、ほとんど参考にはならない。

 

 

それで志望校を判定すること自体に無理があるのである。

 

 

そういったことを理解して学習していくのならまだ救いようがある。

 

 

問題は、そういったことを理解しないで、盲目的に勉強していくことにある。

 

 

例えば、筑波大を受ける子が東北大を志望する子たちのクラスに入れられたらどうなるだろうか?

 

 

当然、東北大の過去問や東北大オープンの過去問などを勉強させられるだろう。

 

 

それでも、勉強にならないわけではないが、筑波の出題傾向は東北大の出題傾向と明らかに違う。

 

 

さらに言えば、合格点数の割合が東北大と筑波大では明らかに違う。

 

 

そのことを理解せずして、筑波大の学習をしていくのでは、合格点に達することは至難の業と言えるだろう。

 

 

だから、そういったことを理解した上で学習していく必要がある。

 

 

厄介なのは、そのことを自分で理解しなければならないのが経験の浅い現役生だということである。

乃木坂46

最近、意外と多くの保護者の方が僕のブログを読んで下さっていることに驚いた。

 

 

生来の怠け癖が出て、このブログの更新が滞りがちだが、頑張って更新してみようと思う。

 

 

塾のブログにしては、本当にどうでもいい話題だと思うのだが、最近、「アイドル」って凄いなと思うことが多い。

 

 

この前、牛丼屋で流れていた曲が妙に耳に残って、調べていたら乃木坂46の「サヨナラの意味」だということが判明した。

 

 

以来、毎日のようにYouTubeでこの曲を聴いている。

 

 

何が凄いかと言って、この曲を46人が一緒の振り付けで踊るのである。

 

 

それは、いわゆるひとつのシンクロナイズのようなものである。

 

 

それと、衣装にお金がかかっている。

 

 

46人分の衣装ともなると大変な金額であるだろう。

 

 

46人を食べさせる会社は定期的な収入が必要であり、それがアイドルともなれば、長年継続していくのにどれだけの収入が必要であろうか?

 

 

1人のアイドルを売り出す方が、まだ、楽なんじゃないだろうかなどと思ったりもする。

 

 

そんなどうでもいいことを考えながら、「サヨナラの意味」を何度も繰り返し聴いているのである。

 

 

僕は、ウェイクアップガールズの「タチアガレ!」が大好きなのだが、「サヨナラの意味」も同じくらい好きな曲である。

 

 

むろん、ビートルズとミスチルが好きなことはブログに書くまでもない。

 

 

まもなく夏期講習

夏期講習が迫ってきている。

 

 

今年の夏期講習は「予習」がメインテーマだ。

 

 

いかに先取りするか、それを念頭に置いてやっていきたい。

 

 

むろん、「復習」をしないわけではない。

 

 

「復習」はもちろんやってもらう。

 

 

その上での「予習」ということだ。

新しい教室

長年の夢だった隣のテナントを今月末から借りることにした。

 

 

隣には裁縫教室が入っていたのだが、1階のテナントが空いたことによりそこに移動し、先月まで空きテナントとなっていた。

 

 

この新しいテナントを増やしたことにより、新しい教室が1つでき、パーテーションで仕切ったもう1つの部屋は事務室として使用する予定である。

 

 

このことによるメリットはいくつかある。

 

 

まず、今まで狭かった高校生の教室が広くなり、より多くの人数を収容できるようになったこと。

 

 

振り替え授業などがやりやすくなり、夏期講習のクラス分けにも余裕ができる。

 

 

次に、自習室が増やせること。

 

 

今まで教室として使っていた場所を自習室として活用できるので、テスト前の自習室に余裕が生まれるだろう。

 

 

さらに、事務室が大きくなるので教材を置くスペースが広がる。

 

 

これによって、物置状態の現在の事務室が改善されるだろう。

 

 

既に今週から使用しているが、生徒たちの評判はまずまずである。

セルフラーニング(3)

自学するためには何が必要なのだろう?


そのことを常々考えるようになった。


頭で考えるイメージを現実のものとするためには、そのための具体的方策が必要となる。


自学するための障害とは何か?


みんな初めて学ぶことは理解しにくいから説明が必要となる。


その説明を省略できないだろうか?


また、勉強していく上で障害となるのは難問に対するアプローチである。


難問を解くために、段階的に、かつ、必要にして十分な量の学習が出来ないだろうか?


しかし、既存の教材ではそのことが不十分であった。


既存の教材というものは、コストがあまりかかっておらず、問題の量も削られている。


採算が合うように作られているからだ。


これを何とかして改善しなければならない。


いろいろな教材を試してみたが、納得できる教材はなかった。


そこで、自分で作ることにした。


これが自学用教材の始まりである。

セルフラーニング(2)

高校部を創設して最初の頃は、学校の宿題サポートのようなことをしていた。


学校の教材はみな異なっており、それぞれの高校がそれぞれのやり方で生徒を指導している。


しかし、それらの宿題すらまともにできない子たちが多かった。


宿題を全問質問してくる子もいた。


僕は「これでいいのだろうか?」と考えるようになった。


「学校の授業にすらついていけてない。


これで果たして大学など行けるのか」と。


そもそもどこでこんな風になったのだろう?


その答えは容易に見つかるものではなかった。


ある時、僕は中学生たちとバスケットボールをしてみた。


すると、授業中に積極的な発言が増えるようになった。


それまで、教える側である僕と教えられる側である生徒との間にあった障壁のようなものがなくなって、「教えてほしいこと」、「わからないところ」を勇気をもって言えるようになったのだ。


その年は、充実した授業をすることができた。


僕は「これだ」と思った。


自分から必要とするものを求めて、自分で吸収する。


教え込まれて勉強するのではなく、自分で学ぼうとする姿勢がそこにあったと思う。


その時から、「自学」ということを強く意識するようになった。

セルフラーニング(1)

うちの塾はセルフラーニングという学習法を指導している。


もともとは「自学」という言葉から始まった。


「セルフラーニング」と名前を変えたのは、埼玉で塾をしておられる「ヒカリ先生」との出会いからである。


ヒカリ先生のことは後述するとして、まずは「自学」から話すこととしよう。


平成5年、僕は天童で現在の塾を開校した。


東京での話については、機会があれば語るかもしれない。


当時は、東京で教えていたように板書で指導していた。


すなわち、ホワイトボードに説明を書き、それをノートに書かせ、類題を解かせるというよくある指導法であった。


この指導法は、どの塾でもやっているし、定番と言っていいだろう。


地元の子たちは東京の子たちに比べると素直だった。


あまり優秀とは言えない子が多かったが、それなりの結果は出せていたと思う。


ともかく、次第に生徒が増えていた頃、僕はある悩みを抱えていた。


それは、高校に進学した生徒たちの成績が芳しくないと知ったことだった。


当時の僕にとって、指導のゴールは高校合格だった。


しかし、折角たどり着いたゴールで、遊んでしまう子が多かったようなのだ。


そのため、高校進学後に相談を受けることが度々あり、高校部を設立するに至ったのである。